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1930年代バゲット

【Baguette in the 1930s (1930年代のバゲット)】
1935年に出版された「TRAITÉ DE PANIFICATION」(EMILE DUFOUR著)に写真入りで載っていた発酵時間5時間30分の長時間バゲット製法を仁瓶氏がアレンジし、それを「1930年代バゲット」として日本に紹介したもの。

[工程]
・ミキシング

1. スパイラルミキサー (小麦粉、モルト、水、塩で)低速2分 
2. オートリーズ(30分から一晩まで適宜。
ただし1時間以内ならオートリーズ前に塩は不要、長いオートリーズの場合はオートリーズ前に塩をまぜる) 
3. オートリーズ終了後セミドライイーストを振り入れて、低速4~5分
・捏上げ温度
21℃(3時間発酵のバゲットの場合は21℃だと低いが、この生地は一晩寝かせるのでこの温度でよい)

・発酵時間
本来なら5時間30分で再現したいが働き方改革の点からは無理があるので、発酵室温を少し低くして(15℃)12時間引っ張り、発酵が8割くらいの状態で一度パンチ(折りたたみ)を入れ、その後は通常の発酵室温(27℃)で最適発酵状態まで待つ。パンチを入れることにより、バゲットのボリュームが出て食感が軽く上がる。

・分割
1930年代バゲットを偲ぶのであれば当時のバゲットの製品重量300gで焼いてみるのもおもしろいであろう。その場合の生地重量は430gで分割。デュフールの本によれば当時のバゲットの長さは80cmあった。本には製品重量300gのバタールもラインナップされていて、長さは50cmとある。バタールの生地重量は400g。短いパンは長いパンより焼減率が少ないから、生地重量も少なくなる。日本ではバゲットとバタールの分割重量が同じと紹介されてきたが、フランスでは製品重量が同じでも長いパンの場合は分割重量は短いパンよりも増やさなければならない。

・ベンチタイム  20分
・成形  バゲット
・ホイロ  50分
・焼成  上火240℃、下火230℃ パンの底部を指で叩いて澄んだ音がするまで焼く

【仁瓶氏の追加説明】
・Baguette in the 1930s (1930年代のバゲット)
ブーランジュリ店主が就寝する前の午後9時に生地を仕込み、深夜2時30分に起床すれば発酵が完了しているのですぐに分割作業から始めることができる。このようにパンの品質も保証され、なおかつ早朝からバゲットを販売することができる合理的な製法である。
これは当時のヨーロッパ各国がパン業界の夜間労働禁止に動いていることへの対策として考え出された製法という側面があるようだが、発酵時間が長けれはパンは美味しくなり、店主も十分な睡眠をとることができるので、一石二鳥の製法と言える。(ちなみにフランスでは夜間労働禁止の法案は実現しなかった)

・オートリーズについて
レイモン・カルヴェル教授が1974年に発表した製法で、小麦粉、モルト、水で数分ミキシングしてからそのままおいておくとグルテンがほぐれやすくなるので、作業の手間にはなるが、オートリーズによりミキシング時間も若干短縮でき(生地の酸化が進むのを抑えられる)、生地の伸展性にも効果を得られる。
オートリーズの時間は長いほうが有利だが、30分以上おく場合は余計な雑菌の繁殖を抑えるためにオートリーズの前に塩を加えておく。

・レトロドールの誕生秘話
レトロドールは製粉会社「ヴィロン」のパン・トラディショネル(伝統的フランスパン)用の小麦粉であるが、その誕生にはジェラール・ムニエ氏が大きく関与している。
ジェラール・ムニエ氏は1983年春にパリ19区オルク通りの古いブーランジュリ(ベーカリー)の営業権を買って自分の店を開業したが、その店ではもともと3時間発酵のバゲットが焼かれていた。しかしながらその当時ほとんどのブーランジュリはノータイム製法(発酵時間は限りなくゼロに近い)でバゲットを焼いていた。というのも公定価格でバゲットの価格が決まっており、大方のブーランジュリはバゲットの品質にこだわる必要もなく、短時間製法が主流となっていた。そのため、小麦粉にはあらかじめビタミンCが酸化剤として添加されていた。
そういう小麦粉で長時間発酵のパンを作ると酸化剤が邪魔して生地が伸びず、ムニエ氏は苦労していたが、その当時改良剤が添加されていない小麦粉は市場にほとんど出回っていなかった。
そんな折、ヴィロン社の先代の社長フィリップ・ヴィロン氏と出会い、氏に酸化剤、改良剤無添加の小麦粉をリクエストした。
その最初のテスト粉で焼いたバゲットをフィリップ・ヴィロン氏が食べたときの感想が氏の著書「ヴィヴ・ラ・バゲット」にはこう書かれている。
「それはまさしく完璧だった!」
少年時代に食べたパンを思い出させてくれたジェラール・ムニエ氏のバゲットに感激したヴィロン氏は、自社の技術者をムニエ氏の厨房で研修させ、そこから得た製法をベースに作ることを義務づけた小麦粉「レトロドール」を発売する。
ヴィロン氏はそこからさらに政治家に働きかけ、93年の「デクレ・パン(パンの法令)」の発布にも貢献したのだが、そもそもの直接的なきっかけはムニエ氏からの「純粋な小麦粉」のリクエストであった。
仁瓶氏はこのジェラール・ムニエ氏の店に1983年秋に訪れてパン・リュスティックを目の当たりにしたのだが、このときはまだヴィロン社の小麦粉ではなかったという。
1930年生まれのフィリップ・ヴィロン氏が少年時代に食べたパンは、まさにエミール・デュフールの本のバゲットと時期が重なり、ヴィロン氏が少年時代に食べたパンを思い起こしたきっかけとなったパリ・オルク通り時代のジェラール・ムニエ氏の店のパンをリスペクトする仁瓶氏にとって、この1930年代バゲットはより感慨深い製法のようである。